賃貸の大きな魅力

オットー・ワグナーの郵便貯金局のガラスのホールも、空間の形式としては、駅のプラットホームを連想させるだろう。
素材やテクノロジーのイメージだけではなく、近代建築と鉄道駅は明るくて広い大空間というモチーフを共有している。 アバンギャルドの建築家も、交通空間に注目していた。
例えば、速度の美を認歌した未来派のアントニオ・サンテリアや、表現派のエーリッヒ・メンデルゾーンは、一九一〇年代に駅のプロジェクトを発表している。 近代建築は、工場や駅に新しい時代と機能主義のモデルを求めていた。
日本の場合、明治時代に西洋の様式建築が輸入されると同時に鉄道も建設された。 したがって、三世紀に復元された新橋駅や旧長浜駅は、古典主義のデザインを採用している。

鉄道という新しいテクノロジーの空間は、当時において西洋化/近代化を意味しており、記号としては洋風建築と結びつく。 明治末に各地の鉄道が国有化されてから誕生した最大のモニュメントは、東京駅だろう。
皇居の正面という東京の顔となる位置、巨大さゆえに、国家的なプロジェクトだった。 一九一四年一二月には、仮設の凱旋門や塔を建て、皇居への道路に万国旗やイルミネーションを飾り、華々しく開業式典が催された。
開業九〇周年を迎え、日本で最も親しまれている近代建築だろう。 設計したのは、東京大学建築学科の第一期の卒業生にして日本最初の建築家、しかも建築界のボスだったT野金吾である。
彼は、イギリスへ留学し、帰国後は母校の教授となり、日本銀行を設計するなど、日本の近代化を背負っていた。 東京駅は、赤煉瓦の洋風建築である。
戦災で焼失した創建時のドームを復元する予定だ。 ところが、当初、ドイツ人のお雇い鉄道技師バルッァーは、駅の規模や機能など、基本的なプログラムを設戦後における駅舎デザインの変化を象徴的に示したのも、東京駅だった。
一九五二年の鉄道開通七〇周年事業として、東京駅の八重口本屋が建設された。 つまり、駅の表玄関が、皇室用の正面入口があった丸の内側から、民衆のための八重側に移ったのである。
それまでの東京駅は、デパートなどの商業施設がある京橋や日本橋に背を向けていた。 しかも八重口の本屋には大丸百貨店も入った。
例えば、五七年に池袋駅東口でもデパートのビルの下に駅を入れる「民衆駅」がつくられた。 駅の一部を外部に使わせる代わりに、駅舎の復興費用を負担させるというシステムである。
定する際、図面を添えて、外観のデザインを和風にすべきだと意見を述べていたという。


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